才說完寂寞,昨天就好運地在繪茶上與あめふらしさん碰頭,雖然玩到一半就斷線……(掩面)

「一起來畫些什麼吧?」我說。

「要畫什麼呢?」あめふらしさん回言。

「什麼都可以,得趕在我斷線之前……」我淚目。

  玩個繪茶何必那麼辛苦?總之什麼都沒想的我就開始撇圖,太過無謀的結果就是……


 
  最近因為受到白兔同好あめふらしさん的邀請,開始了人生首次的繪茶初體驗,雖然以前也玩過線上繪圖,知道其功能沒有Photoshop那麼方便,左手老是會慣性去按根本起不了作用的Ctrl+Z,不過跟別人一起互不干擾的共同創作意外地非常有趣,我想一定是因為愛相同的關係。(羞) ←?

 
*2010/07/05 追記


自分論・その一:人間は、色んな自由を持つはずです。

   例えば:何が好きになるという自由、何が嫌いになるという自由、言いたい言葉を言い出すという自由、嘘を付くかどうかを選びますという自由。社会の安定を破壊しませんの前提、他人は其々の自由に干渉しますの権利がありません、私は何時でもそう思います。
 
自分論・その二:声優さんは声優さん、キャラクターはキャラクター
  声優さんの仕事は、台本のセリフによって、キャラクターを出演しますだけ、本人の意識や性格などあまり関係ないと思います。声優さんを通してキャラクターが好き(嫌い)になるとか、キャラクターを通して声優さんが好き(嫌い)になるとか、私にとって、それはありえないことです、現在式です。
 
  それなのに、私はやはり傷つけられました。
 
  私が愛していますのペーターは、完璧な存在ではありません、更に、彼は壊滅的な欠点の持ち主です。でも私は、この残酷で電波で不器用で隠した事ばかりで駄目(色々意味)な男を愛しています、ペーターだけを愛しています。本気にで、この実際には存在しません、他人の創造したキャラクターを愛しています。
  しかし、ペーターを受けできる人は少ないっと思います、五月さまの素晴らしいシナリオを全て理解したでもあまり受けできません、その点私も自覚があります、ちゃんと、自覚があります。
 
  でも、やはり傷つけられました、重度に。
 
  白兎・ペーター=ホワイト役の声優さんは、ペーターについて、「気持ち悪い」と言い出す事に。
   
  ペーターの声優さんはあまり嘘をかけない、優しい方っと聞きました、「ペーター気持ち悪い」という感想はきっと何も考えせず、単純な感想っと思います。それに、台本のセリフによってキャラクターを出演しますのは声優さんの仕事です、声優さん達はシナリオを全て理解しての義務がありません、その上、キャラクターを好きになる義務もありません。私は知っています、理解できます。
 
  ですが、関連商品の特典CDの中にで、自分で出演する役を「気持ち悪い」を言い出すの義務もありませんと思います、どう言っても、仕事の立場にで、そのような発言は適切ではないじゃありませんか?

  再び、とても悲しませます、その切ない気持ちはどうすればいいのか?私はよく分かりません。
 
 
  三度目を発生しないで欲しいです。